■ 序章─あの脚立を越えるために
まだ暗さの残る6時半、大山ケーブルバス停に降り立つ。
冬の大山は、空気が張り詰めている。
コマ参道の石畳はしっとりと冷えており、静かに登山者を迎え入れた。
今回の目的はただひとつ。
前回、撤退を余儀なくされた“脚立”を越えること。
大山に何度も登ってきた身でありながら、あの人工物が登山道だと理解できず、迷い、退いた。
その続きが心に残ったままだった。
■ 丹沢・大山とは
丹沢山地の東端に位置する「大山(標高1,252m)」は、古くから雨を司る山として崇められ、修験者が行を積んだ信仰の山だ。
阿夫利神社の存在が象徴するように、この山は単なる登山地ではなく、“祈り”と共に歩かれてきた歴史を持つ。
そのため、ケーブルカーでアクセスできる初心者向けの表参道から、三峰山や塔ノ岳へ続く本格的な縦走路まで、ルートの幅が極めて広い。
特に「北尾根」は、一般登山道とはまるで別物の表情を見せる。
広い尾根と痩せた尾根が入り混じり、人工物である“脚立”までもが登山道として組み込まれている異色の破線ルートだ。
人の少ない静寂の尾根を味わいたい者にとって、大山北尾根は格好のフィールドと言える。
■ タイムテーブル(実績)
| 時刻 | 行動 | |
|---|---|---|
| 6:30 | 大山ケーブルバス停 発 | 早朝で人は少ない |
| 6:35 | 西の茶屋 | 紅葉が残る |
| 7:12 | 大山ケーブル駅 | 下社へ向けて登る |
| 7:54 | 阿夫利神社下社 | ご来光が差し込む |
| 8:30 | 富士見台 → 25丁目 | 表参道を淡々と |
| 9:17 | 大山山頂 | 数名のみの静寂 |
| 9:29 | 西沢ノ頭 | 展望なし |
| 9:51 | 16号鉄塔 | 広い尾根が気持ちいい |
| 10:29 | 境沢ノ頭 | 少し痩せ尾根が続く |
| 10:44 | 上野ノ頭 | 展望なし |
| 11:05 | 地獄沢橋 | 車道へ出る |
| 11:16 | 青山荘 | 10月はヒル地帯だった場所 |
| 11:48 | ヤビツ峠 着 | 予定より1時間早着 |
■ 下社から山頂へ─清冽な朝の参道
御来光の時間帯に阿夫利神社下社へ到着すると、黄金色の光が社殿と山肌を照らし、冬の空の透明度が際立つ。
ここから先は、もう“日常”が完全に切り離される。
登山者は少ない。
冬の大山は賑わいが削ぎ落とされ、階段を踏む自分のリズムだけが耳に残る。
8時30分、富士見台を通過。
山頂には9時17分に到着したが、人影はまばらだった。
そして北尾根の入口へ向かうと、すぐに現れる“それ”。
銀色の脚立。
工事現場にあるような、完全に用途不明の人工物。
前回はこれがルートだとは到底信じられなかった。

今日は迷わない。
右手で支柱を握り、ゆっくりと一段ずつ登った。
越えた瞬間、まるで別の山へ入るように景色が変わる。

■ 北尾根─広い尾根、痩せ尾根、そして静寂
脚立を越えると、落葉が厚く積もった広い尾根が続く。
冬の乾いた空気と、落葉を踏む「サクッ」という音が心地よい。
序盤は穏やかな尾根歩きだが、次第にナイフリッジのような痩せ尾根が姿を見せる。
大山三峰山を思わせる細さで、一瞬だけ緊張感が走る。
しかし尾根の細い区間は長く続かず、慎重に進めば問題ない。

西沢ノ頭に着くと眺望はないが、森の静けさが際立つ。
そこから先は広い尾根と小ピークが続き、落葉の山ならではの明るさと開放感が心を軽くする。

北尾根は人がほとんどいない。
聞こえるのは風と自分の呼吸だけ。
この孤独感がたまらない。
■ 地獄沢橋へ─明るい森を抜けて
ミズヒノ頭・境沢ノ頭・上野ノ頭とピークを淡々と越えていく。
展望は乏しいが、逆にそれが“山にいる”感覚を濃くする。
上野ノ頭を過ぎ、車道が見えた瞬間、緊張がゆるむ。
10分ほどで地獄沢橋に到着し、そこからは舗装路歩き。
ここは10月、ヒルの巣窟だった場所だが、冬は安心して歩ける。

青山荘までの車道歩きは単調ながら、北尾根の余韻が続いていた。
■ 迷いやすい区間─青山荘〜ヤビツ峠
青山荘からヤビツ峠までは不明瞭な道が続く。
2度目でも迷った。
落葉で踏み跡が隠れ、マーキングも少ない。

しかし、周囲を観察しながら慎重に進めば危険箇所はほぼない。
破線ルートらしい曖昧さがむしろ面白い。

11時48分、ヤビツ峠に到着。
想定では13時過ぎだったため、大きく早着した。
バスまで時間があるので、蓑毛までのんびり歩くことにした。

■ 総括─静寂の尾根は“また歩きたくなる”
大山は何度も登ってきたが、北尾根はまったく別の顔を持つ。
表参道の喧騒とは対照的に、人影がほとんどない静かな尾根。
広い尾根の開放感と、短い痩せ尾根のスパイス。
そして人工物の脚立を越えるという“非日常”。
その全てが独特の山旅をつくりあげていた。
前回の撤退を越えられたこともあり、今日は忘れられない山行となった。
大山北尾根──間違いなく、また歩きたくなる尾根だ。





