塔ノ岳の下山路は、私にとって最も歩き慣れたフィールドだ。
大倉尾根を何度往復しただろう。年間 10 回以上は登っているはずだ。ルートの癖、足場の形、斜度の変化までも身体が覚えている。だからこの日も、いつものように気負いもなく、淡々と高度を下げていた。
むしろ、この日はいつもより脚が軽かった。
「今日の下りは調子がいいな」
そんな緩んだ意識のまま、いつもの登山道を歩いていた。
だが、その状態はたった一瞬で崩れた。
■ 静寂を切り裂く感覚 — 踏んだ瞬間の“違和感”
前方の段差を軽くステップするように降りた瞬間だった。
右足の下で石が転がるのを感じた。浮石だと気づいたときには遅く、足首が内側に大きくひねられる。そのとき、確かに何かが「ボキッ」と鳴ったように思った。
あの瞬間、脳裏をよぎったのは“終わったかもしれない”という感覚だ。
骨折という言葉が一瞬浮かんだ。しかし、意外なことに痛みはなかった。違和感すらない。不思議とそのまま歩けてしまう。
「なんだったんだ、今の……?」
腑に落ちないまま下山を続けたが、自宅に着いた頃には右足首がみるみる腫れていた。明らかに普通ではない。靴下を脱いだ瞬間、その異様な膨れ方にようやく事態の深刻さが分かった。
やはり、あの“ボキッ”はただの空耳ではなかったのだ。
■ 診断は「軽度の捻挫」。だが、治癒には長い時間が必要だった
後日、整形外科でレントゲンを撮った結果、診断は「軽度の捻挫」。
骨には問題なく、靭帯に軽いダメージが入っているらしく、湿布と安静が指示された。2 週間分の薬が処方され、医師からは「無理は絶対しないように」と釘を刺される。

軽度とはいえ、完全に痛みが消えるまでには 2〜3 ヵ月ほどかかったように思う。歩くこと自体には支障はないが、踏み込み時のわずかな痛みが抜けない。階段で重心を乗せる瞬間や、少し角度のある路面では特に神経を使った。
「山はちょっとの油断で普通の生活にも影響が出る」
頭では分かっていたつもりだったが、これほど実感したことはなかった。
■ 今回の捻挫から学んだ“4つの反省点”
今回の経験から、明確に反省すべき点が浮き彫りになった。
① 視力 0.3 の状態で山を歩いていた
これが一番の根本原因だったと思う。
浮石や段差の陰影が見えにくく、反応が遅れる。視力が悪い状態での山行はリスクが高すぎた。
② 下りの重心が前のめりになっていた
疲れが溜まってくると、下りで前足に一気に体重を乗せる癖が出る。
その結果、足首への負荷が増し、少しのブレでも大きくひねりやすい。
③ トレッキングポールを使っていなかった
ポールが一本あれば、あの瞬間の力の逃げ場があったかもしれない。
軽快に歩けるからといってポールを省略したのは判断ミスだった。
④ エマージェンシー装備の重要性を再認識
今回は歩けたから問題にならなかったが、もし本当に骨折していたら完全にアウトだった。
三角巾・テーピング・簡易固定具など、最低限の備えがあれば、万が一のときにも対応しやすい。
「軽く見ていた自分がいた」
その一点に尽きる。
■ “慣れ”による油断こそが最大の敵
塔ノ岳は私にとって最も身近な山だ。しかし、慣れが油断を生み、油断が事故を呼ぶ。今回の捻挫はその典型例だった。
技術や経験が積み重なっても、自然は私たちに合わせてくれない。歩き慣れた山ほど、危険は日常に溶け込んだ形で潜んでいる。
XUONIX の考え方として「山は挑むものではなく、向き合うもの」という姿勢がある。
今回の件は、まさにその言葉を裏付ける出来事だった。
■ これから同じ山を目指す人へ
もしあなたが山を歩くなら、ぜひ以下だけは心に留めてほしい。
- 下山こそ最も事故が起こりやすい
- 慣れたルートほど“雑な歩き”になりやすい
- 視力・集中力・フォームの乱れは一瞬で怪我につながる
- 装備を削るのはリスクを増やすだけ
- 「大丈夫だろう」という感覚は捨てるべき
私は今回の捻挫のおかげで、ようやく本当の意味で下山の怖さを理解できた気がする。
■ 最後に — 山は逃げない。だからこそ、次の一歩を丁寧に
数週間、登山に行けないストレスは大きかった。
だがその時間が、今まで見えていなかった危機感を呼び起こしてくれた。
山は逃げない。
だからこそ、焦らず、丁寧に、安全に。
私は以前より少し慎重で、少し強い登山者になれた気がした。





